こんにちは!!
剣道ジャーナル編集長の酒田マードックです。
先日、市の連盟の稽古会で八段の先生に稽古をいただく機会がありました。
恥ずかしい話ですが、たまたま並んだ先生が八段だったようで、稽古が終わってから同行していた友人に「かかった先生が八段であること」を教えていただきました。
(確かに僕の後ろに凄い長い行列ができていたような・・・)
八段の先生に掛かるのは高校生の頃以来でしたが、その頃とは全く違うことを感じたような気がします。
高校生の頃感じていたこと、今になって感じることの違いや学んだことについて少しまとめてみたいと思います。
高校生の頃感じてたこと
高校生の頃、監督先生の大学の先輩だという八段の先生がよく稽古にいらしてました。僕のいた高校はゴールデンウィークに合宿をしていたのですが、毎日のように稽古をつけていただいた記憶があります。
生徒に対して特に指導をするわけでもなく、稽古終わりには必ず「〇〇先生(顧問)の言うことをよく聞いておけば間違いないのだから〜」というお話をよくしていただきました。
顧問の先生は「あの人は自分の稽古と稽古後に飲みにいくことしか考えてないだろうな」と言っていたのを覚えております。
稽古自体の思い出としては、「出れば打たれる」「下がれば突かれる」「相面は割られる」「打てば返される」と言った内容でした。
特別扱かれたわけではなく稽古時間も5分くらいの短い時間なのに、息が切れ、足が出ず、腕が上がらない思いをしたことを今でも昨日のことのように覚えています。
稽古終わりに「強いなあ」「何もできなかったなあ」と言うような感想しか出てこず、稽古の内容まで考えるには至りませんでした。
今稽古いただいて感じること
短い時間の稽古でしたが、高校生の頃と同じように疲れたのは同様ですし、「強いなあ」「何もできなかったなあ」と言う感想も一緒でした。
しかしながら、高校時代に比べると解像度が少し上がったような感じがしました。(気のせいかもしれないけど)
実際、打たれた場面では「中途半端な場所から打とうとしてしまったな」や「相手の攻めにいついてしまったな」と言うような打たれた理由についてわかるようになった気がします。
なんとなくですが、高校生の時に比べて剣道に関する理解が深まったからなのかなと思ってます。
今回の稽古から感じたこと
「百聞は一見に如かず」という言葉があります。
辞書的な説明をすれば、何度人から話を聞くよりも、一度自分の目で見る方が理解が深まると言う意味であります。
その言葉について、中学の修学旅行の前日集会で校長先生がこう話していたのを覚えています。
「百聞あるものの一見と、一聞もないものの一見では、その価値は全く違うものである」と。
僕は剣道もそれと全く同じだと思っています。
八段の先生と稽古する機会を最大限の学びにするためには、その前に自分自身の剣道をできる限り理解し、準備を整える必要があるのではないか、と思っています。
それをせずに稽古に臨み、「いい稽古になったなあ」と感じるだけでは、まるでパワースポットに行って満足しているのと大して変わらないのではないか、と僕は思います。
編集後記
今回は趣向を変えて僕の稽古で感じたことをざっくばらんに書いてみました。
書き手としてどうかと思うが、正直「メッセージ性」は全くもってない記事になってしまったなあ、と反省はしております。
たまにこんな感じで私の剣道観についても書いてみようかなと思いますので今後ともよろしくお願いします。
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